学習を始めたのをいつ頃だったか覚えていますか?
幼稚園くらいから「学習」がはじまったのかもしれません。
幼稚園、もしくは保育園から始まり、小学校という義務教育へ。
やがて「任意で学ぶ道」を選べる高校生へと変わっていく。
その後、大学に進学する人もいるでしょう。
さて、結果的に有学者となれたでしょうか?
そもそも有学者とはどんな人のことをいうのだろう。
博士や教授みたいな人。
政治家みたいな人。
東京大学を卒業した人。
起業家の人。
どういう人が有学者なのだろうか?
「仏教」という言葉を知っていると思います。
仏教かな??
と考えたところ、
お葬式のときに来るお坊さんみたいなイメージでしょうか。
「お釈迦様」という言葉も聞いたことがあると思います。
ブッダとか。
田舎道をあるけば、仏像がありますよね?
ぜんぶ、お釈迦様からの流れです。
そのお釈迦様の教えをまとめた経典が「仏教」です。
知れば知るほど、とんでもない人だったと分かります。
世界中に遺跡。
寺院や仏像がありますので。。。
残念ながら、お釈迦様は日本人ではありません。
でも、日本語に溶け込んでます。
悔しがるときに使っている人がいます。
「チクショー!」
と。
この言葉も仏教からきています。
その他にも「退屈」とい言葉も仏教からきています。
ほとんどの人が言葉の意味を知らずに使うくらい、
仏教は日本に溶け込んでいたんでしょう。
いつのまに日本人は愚か者になってしまったのでしょう。
なぜ逆の意味で使うようになったのか。。。
学習を完了した有学者と無学者
仏教でいう有学者とは、
学習を完了していない者で、なお学習をする必要のある者のことをいいます。
まだまだ学習が必要な人達。
お釈迦様が、
「それでは、永遠にたどり着くことはできませんよ。」
と、助言してくれるのが
有学者に対してです。
そうかもしれません。
私たちは、勉強することが常識という社会に育ってきました。
余計なことばかり学習していたのかもしれません。
ちなみに仏教でいう、有学の反対語の「無学」とは
「煩悩を断ち尽くし、もはや学ぶべきことを残していないこと」です。
現在、仏教から派生した言葉は「反対の意味として」知らず知らず、使われています。
「有学」とは、学習を完了していない者で、なお学習をする必要のある者のこと
「無学」とは、煩悩を断ち尽くし、もはや学ぶべきことを残していないこと
学ぶことを間違えないようにしないといけませんね。
すべて間違った学習をさせられていた人がほとんどです。
煩悩を断ち尽くすことを目指すのが「学習」であり、
煩悩を断ち尽くしてからが、
仏教といわれる教えのスタートラインです。